来月44歳

人生の大部分は終わった。生物的に44歳といえば、新たな成長は無くなり、今までの経験を活かして余生を生きていく年齢なのだろう。

自分は全然その領域に達していない。いまだに若い世代と一緒の仕事内容を続けて行かなくては給料をもらう事が出来ないでいる。衰えていく気力と体力、そして記憶力。かかる負荷は日々増しており、とても惨めな気持ちになってくる。

根拠のない希望はなく、建設的な未来も描けない。思い出に浸ることも出来ずに、景色の変わった東京都心を帰宅時にフラフラと歩く。

もともと人生楽しいなんて感じた事なかった。特別大きな出来事があった人生ではなかったが、小さな希望をもってそれを打ち砕かれ続けられた寂しい人生だったと思う。

これって結構つらい事だと思う。「本当に欲したものを自分は得られない」という先入観が完全に植え付けられている。負け犬だ。

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