年末家族会

12月31日に実家で近所に住む叔父家族と弟家族、そして自分の家族が集まるのが恒例になっておりましたが、ここ最近それぞれの家族の事情で一斉に集まることが出来なくなってしまった。

3年前までは祖母がいたので、否応なく参加だったのが、亡くなってからは無理に集まる理由がなくなってしまった。

両親、叔父家族にいつも準備させていたので、そろそろ自分が準備するようにしたいのですが、カニを用意する費用を捻出できるかどうか…それが問題だ。

南大塚

9年前、自宅から息子が生まれる病院を一人眺めていた時の写真。

建設中のスカイツリー下に見えるのは東洋大学。高校時代を過ごした地域も一望できました。写真ありませんが、お風呂の窓からはサンシャイン60が見えました。

思い返すと、この頃はものすごいスピードで物事が進んでいた。結婚、長男誕生、二度の引っ越し、転職。まさに人生の分岐点。

圧迫面接?

自分の専門分野でもないのに、如何にもその業界を知り尽くしているような話っぷりをする面接官がいる。

僕は診療放射線技師という資格をもっているのですが、今まで病院を面接をした時に看護師さんや検査技師長(臨床検査技師?)、技師装具士さんが面接をしてくれた時がありました。

国立病院を受けた時は、技師・医師と思われる人たちに囲まれて委縮して質問に答えらず、悔しい思いをした思い出がありますが、中小病院の畑違いの面接官さんとの思い出はなんか後味の悪いものが多かったです。

彼らはなぜか放射線技師をバカにするのです。使えるモダリティが多くても付加価値にはならない。検査は誰がやっても同じ(診療報酬点数的に?)。放射線技師自体余っている。いろいろ経験、勉強した上での結論がこれで、なぜそれを面接を受ける人にわざわざ言うのでしょうか?       

圧迫面接という言葉がありますが、僕が嫌な思いをした面接官達はこの手法を使っていたのでしょうか?その後、その人たちと会っていないので聞くことが出来ません。

成功曲線

twitterみていたら、賢い方々が成功曲線についてつぶやいていた。

努力が成果に直結しないのはバカな自分でも昔からわかっていた。というか当時も周りから教えられていたのかもしれません。

でも大学受験2年頑張って、成果出せないんじゃ駄目なんじゃないの?ポテンシャル的にという囁きがその後の人生に響きまくっている。

今の職業に必要な国家資格取得できていなかったら、僕は大変なことになっていたかもしれない。

私がこのペースでブログを続けていても、収益でるまで人の倍以上かかるでしょう。

まずは本業で成果をだせるように頑張ろう。

ファイルメーカー

仕事の合間をみて、職場のデータベースを作成してます。

「ファイルメーカーは独特のルールがありますが、プログラミングできるような人ならすぐに出来るようになります。」と、とある求人欄に書いてあったのを思い出す。

教えてくれる人なし、プログラミング能力なしのおっさん(42歳)は出来るようになるのでしょうか?

本をみながら見よう見まねで作っておりますが、プロの作るものに触れたことがないので、機会があったら是非みてみたいです。自分の作品が如何に駄作であるか理解できるでしょう。

浸水

テレビで世田谷区の病院の様子が中継されていた。当直業務のスタッフさんお疲れさまでした。川の氾濫は本当に怖いですね。

「これまで経験したことのないような雨・風」がテレビでは連呼されてますが、幸い自分の住んでいるマンションではそのような経験をすることなくやり過ごすことが出来ました。

パネライ

ルミノールマリーナを購入してから、かれこれ10年たつ。

購入前はブライトニングがカッコイイなぁと思っていたが、職場の同僚がパネライをつけているのをみたら、一気に心をもっていかれた。車はアルファロメオ、サッカーではR・バッジオに憧れていた自分にとりイタリアブランドは強烈だった。

40過ぎて体のシルエットが大分だらしくなってきた自分だが、お気に入りの時計はあの時と変わらず輝き続けています。

Fランク

YouTubeなど見ていると、プログラミングを学ぶのならばFランク大学など行かずにそれを専門的に学ぶスクールに通うべきだという意見をよく目にします。

Fランク大学という言葉はすっかり世間に定着しているみたいですが、自分はどの大学がそれに該当するのか知りませんでした。おっさんなので。早慶、明法中、日東駒専てな感じでの区分しかわかりません。

話は戻りますが、確かにFランク大学の学校で、それ以上のランクの大学生と同じところに就職するのは難しくなるのはあたりまえです。

自分はFランクではありませんが、希望するランクの学校に行けなかった時点で完全に燃え尽きました。

バカなりに時間だけはかけて受験勉強したのですが…。厳しかったです。

「浪人しているし、大学にもブランドないし」終わったなと思い辞めましたよ。

20年前と比べて、今は卑屈にさえならなければ高収入を得る手立てはたくさんあるようにみえます。ただ社会にでたら、受験勉強で勝ってきた連中とまた対峙することになるんですよね。

当時、自信喪失で何の特技もない自分は本当に世間に翻弄された記憶があります。空元気ではやっていけない辛さがそこにはありました。

目の前のことに真面目に取り組んできた自負はあるのですが、その後につながる労働を何もできませんでした。頭が悪いのです。お金や労働に関する教育を家庭からも学校からも受けておりませんので、ただただ我慢することしかできないのです。

その後、国家資格をとりなんとか所帯を持つ事が出来ておりますが、それに至るまでの頑張りなど、20年前のものに比べれば屁のつっぱりでした。

あんなにあがいて、それでも不安に苛まされた毎日はなんだったんだろうか?あの頃の苦労があったおかげで今があるのだろうか?

まぁ苦労が足りないのでしょう。自分の殻を割り切れてないのでしょう。

あのころのように素直に立ち向かう勇気も体力も今はありませんが、生きているからには上を目指して頑張っていこうと思う今日この頃でした。